左足首を骨折してから歩けるまでの日記 No.1
こんにちは、クレ陸親父です。
1月22日の関東地方も大雪大変でしたよね。毎年大雪になると、雪道で足元を滑らせて足を怪我する人が居ますが、その様なニュースを見るたびに高齢者は大変だなぁと感じていたのですが、先日ワタシもまんまと高齢者の仲間入りをしてしまいました。。。
左足首の上を骨折してしまったのですが、今回経験した事が初めての事ばかりですので、ワタシが自力で歩けるようになるまで、不定期に骨折日記を始めます。
マイラー活動とは主旨が逸れるかもしれませんが、骨折中も修行を行う予定なので、何かの参考になれば幸いです。
- 骨折は突然やってくる
- 足の骨折を確信できた瞬間
- 救急車を呼ぶか一晩我慢するか
- 救急病院に到着、レントゲンにて骨折の確認
- 初めての入院、初めての相部屋
- 足首骨折のオペが中々できない
- オペ直前の不安な呪文と麻酔
- オペ開始!看護師さんに勝手にフォーリンラヴ
- 入院から3日目、最短で退院
- 退院翌日の通院で足首のボルトを確認
- 意外と大変な車椅子
- 左足首骨折3日後のふくらはぎと傷跡、むくみが凄い・・・
- 最後に
骨折は突然やってくる
2018年1月22日、東京は4年ぶりの大雪に見舞われて帰宅時間を早める人やそうでない人はターミナル駅が大混乱、電車も止まったりして大変な1日となりました。ワタシの会社でも夕方以降の大雪を予測して、早めに帰宅できる人は帰宅していたのですが、ワタシは19時頃まで仕事を続けキリが良い所で退社しました。
普段は4キロほどの道のりを徒歩通勤しているので、つもり具合によっては徒歩で帰れるだろうと高をくくっていたのですが、外に出た時には自分の浅はかな考えを反省する位辺り一面銀世界で徒歩での帰宅は困難である事を確信しました。
しかし、主要駅は混雑して電車も動いていなかったりしたので、行けるところまで徒歩で進み、途中バスやタクシーを見つけて乗車しようという作戦を立てて帰宅しました。
幸い自宅付近まで走るバスを2キロくらい歩いた先で乗車する事が出来て自宅近辺の停留所で下車をしました。
下車後もそろりそろりと歩き、自宅に続く最後の曲がり角を曲がると、自宅前の細い道は交通量も少なく除雪もされていなかったので新雪まみれの道になっていました。
新雪ですので20センチ近く積もる道をザクザクと歩き、やっと自宅が見えたころに事件は起きました。。。
自宅まであと10メートル、2軒隣の家族が外に出て旦那さんは雪かき、子供たちは雪だるまを作っていました。ワタシは彼らの方に進み軽く挨拶をして道路真ん中で雪だるまを作っている子供たちを避けようと脇に逸れた瞬間、軸足が思いっきり横にスライドして宙を舞い、とっさにサポートしようとした左足が着地したのは、軽自動車が走った細いワダチで、更にスライドして身体は完全に斜めに傾きました。。。
「ボゴッキ!!」
その瞬間、ワタシの左足首はあり得ない方向を向き異音を立て、更に左外側のくるぶしで、スライドして勢いの付いたワタシの全体重を支えていました。。。
周囲の家族も驚いて唖然としていたのですが、やはり日本人。
とっさに根性で立ち上がり、
「ころんじゃいましたね、ははは。。。」
と言い訳をしながら足を引き摺りながら10メートル先の自宅に帰ってきました。
玄関につくと脂汗がしたしたと垂れてきます。激痛が左足首からズキズキと来ます。
頑張って靴は脱いだのですが立ち上がる事ができません。
這いつくばって階段を上がり2階のリビングに何とかたどり着きました。
足の骨折を確信できた瞬間
最初は雪道で滑って捻挫したんだろうとワタシに呆れていた妻も、様子のおかしさに少し心配して、保冷剤を持ってきてとりあえず冷やすようにと促してきました。
兎に角、足首の上が物凄く痛いので、ズボンをめくり20分ほど悶絶しながらも患部を冷やし続けましたが痛みは増す一方で全然落ち着いてくれません。
この時ワタシは思い切って妻にこう話しました。
「実は転んだ時に異音がした。骨折しているかもしれない」
大雪で交通もマヒしていて、各所で事故やけが人が続出している中、救急車のお世話になるかもしれないような発言をするのは、少し恥ずかしく後ろめたい気持ちがあったのですが、治まるどころかどんどんと痛みが増す中、このまま妻にも就寝され何もできないまま朝を迎える事が急に不安になったのです。。。
せめてL字の固い何かを副木にして固定でもできれば多少はマシになるかと、家中を探してもらったのですがそのようなものもなくサポーターも見当たらない状態でした。そして、恐る恐る冷やしていた患部を覗いてみると、足首から上の骨の形状が普段とは違い一部分だけクの字に変形していました。
ワタシはこの時点で、先ほどの異音、見た目で明らかにオカシイので骨折したと確信したのですが、念のためセルフチェックをしてみました。
ワタシ流の捻挫と骨折の見分けチェック
若い時に少しだけ柔道を経験していたので、その時の先生に教えてもらった捻挫か骨折の判定をするセルフチェックを思い出して実践してみました。
- 可動部を伸ばしたり縮めたりしてみる
- 患部を触ってみる
- 実際に立って見る
まず、1は指先は動いたのですが足首を動かそうものなら激しい痛みが伴い、とても動かせる状況ではありませんでした。続いて2は、凹んでいる箇所は腫れてもおらず触っても痛みは無かったのですが、足首を少し触ってみると激痛が走ります。そして最後の3。。。実際にケガをしていない右足を軸に立ち上がり、左先のつま先をつけようと痛くて床につけられせんでした。
通常捻挫の場合は、痛めた個所を可動させなければ多少の我慢が出来たり、可動もゆっくりなら出来たりするものですが、全くダメとなると骨折している可能性が高いと教わったので、完全にビンゴでした。。。この時ワタシの心の中では骨折を確信しました。
救急車を呼ぶか一晩我慢するか
骨折を確信したワタシは次に、この状態で一晩待って翌朝整形外科に行くのか、このまま救急車を呼ぶべきか非常に悩みました。
恥ずかしい話ですが、ドンドンと悪化する痛みに一晩耐えられる自信もなく、仮に大雪の後凍結しかけた路面を妻の肩を借りながら病院に行く自信もなく、更には交通がマヒしている状態でタクシーを呼ぶことも難しいのでは?とドンドンとネガティブ思考に陥っておりました。
ただ、大雪の今夜、各地で事故が多発して救急車はフル稼働だしワタシの様な足首の骨折ごときで救急車を呼ぶなんて恥ずかしいとグルグルと考え始めてしまいまいました。
そして、ワタシはついに電話をしました。電話をした先は
#7199
東京消防庁救急相談センター
です。この相談センターでは自分の状況を説明し、係員の人が救急車を呼ぶべきか否かを判断してくれる救急車を呼ぶ前に事前確認できるセンターです。
ガイダンスに従い操作をするとオペレーターの方と話せました。
そこでワタシの状況を説明した所
「自力で立てない、歩けないのであれば救急車を呼んでも構いません」
と告げられて、電話を切らずそのまま救急センターに電話を繋いでもらいました。
そして担当の方に詳細を伝えたところ、
「急いで向かわせますが、現在東京の救急車はフル稼働です」
「何時になるか判りませんが、必ず行くので待っていてください」
と、想像通り大変忙しい状況である事が判りました。
待つこと20分、サイレンの音が聞こえました。ワタシの自宅は救急病院から1キロ圏内なので恐らく患者を搬送した帰りにワタシの家に寄ってくれたのだと思います。
神に救われた様な気持ちで救急車に乗ります。その後、隊員さんに
「スミマセン、近くで掛かりつけの整形外科はありますか?」
「若しくは救急病院でカルテのある病院はありますか?」
と、質問されました。実はワタシその様な病院の通院歴がなく近くの救急病院にはお世話になったことがありません。それを隊員さんに告げると
「頑張ってみますが、近くの病院は難しいと思います」
「事故多発で病院も大変な事になっています」
との事でした。ワタシはただただ謝りながら隊員さんの対応を待ちました。
5軒ほど病院に問い合わせてもらってやっとOKを出してくれた病院はワタシの自宅から10キロほど離れた病院でした。
「かなり遠くなりますが宜しいですか?」
と尋ねられましたが、断る理由等ありません。救急車が到着してから15分ほど。やっと搬送先が見つかり救急車が走り出しました。良く患者を乗せてから走り出さない救急車は何をしているんだろう?と考えていたのですが受け入れ先の病院が見つからないと、こうやって停車している事がこの時判りました。
妻が、こっそりワタシを撮影していました。ストレッチャーに乗せられて移動しました。隊員の皆さんには本当に感謝です。
救急病院に到着、レントゲンにて骨折の確認
救急車が走り出してから20分ほど、ワタシは激痛に耐えていました。骨折による激痛が根本ではあるのですが、この日は大雪。救急車もチェーンを巻いて?走行しています(想像ですが)。更には除雪が進んでいない幹線道路は場所によってはかなりのワダチがあります。
その結果、移動中は常に激しい振動があり患部をガンガン刺激しており、ワタシは悶絶しながら病院に到着しました。
そこには、便秘がひどすぎてお腹が痛いと搬送された70代くらいの女性が丁度説明を行い処置に入るタイミングでした。ワタシは30分ほど待ち担当医に当時の状況と現在の具合を細かく説明をしました。担当医は
「骨折かと思いますがレントゲンを撮りましょう」
と話しをして、ワタシはレントゲン室に運ばれました。
レントゲン技師の指示に従い、複数枚レントゲンを撮影したのですが、次に
「ちょっと厄介な感じなのでCTも撮影しますね」
と告げられCT室に移動されられました。人生で初CTです。ドキドキです。
状況が判らずCTを撮影するほど重症なのか?等々不安な気持ちはありましたが、病院にたどり着けた事が何よりも安心できる事で、あと大変申し訳ないですが、仮にこれが単なる捻挫だったら、物凄い迷惑な人間だと思われるところが、本当に骨折していて良かった・・・等変な事を考えていました。
撮影が終わり診察室に戻ります。担当医が先ほどの画像を見せてくれました。
「親父さんは骨折しています。一般的には手術が必要です」
「手術をどうしてもしたくなければギプスで固定して長期間の治療もできますが、お勧めしません」
・・・等々、細かい説明やワタシの質問にも答えてくれたのですが、ワタシは手術を希望すると伝えました。その後リスクの説明等諸々してもらい、同意書を頂きました。
丁度妻も同席していたので、これで手術の説明と同意までを終わらせました。
「手術は早ければ翌朝に行います」
「ただし、雪の影響で手術に使う道具が届くかどうかによっては予定が変わります」
「明日手術できなければ、スケジュールの関係で翌週以降の手術になります」
と担当医から説明を受けました。どんな道具なのかこの時は判りませんでしたが、とにかく道具が早く届く事を願いながら病室に移動しました。
初めての入院、初めての相部屋
足首を副木で固定してもらいワタシは病室に移動しました。6名部屋です。
丁度その部屋にはワタシが入る前に4名の患者が居ましたが到着が深夜でしたので、皆就寝中でした。男性部屋なのでイビキの大合唱です。
ワタシのベッドの設営を看護師さんが手際よく行ってくれていたのですが、深夜に騒がしくしてしまったので隣の老人と思われる患者さんが少し怒っていました。
カーテン越しにお詫びをして、ワタシはやっとベッドに横たわる事ができました。
この時、少し痛みが治まっていたのですが看護師さんに
「痛み止めとか頂けるのでしょうか?」
と尋ねたところ
「親父さんは明日の朝オペなので投薬できません」
「痛み止めではないのですが、点滴をします」
「夕飯を食べられていないとの事ですがオペが終わるまでお食事もできません」
・・・と告げられましたが、ここは病院。きちんと指示に従って目を閉じる事にしました。すると静かになって5分も経たず、イビキの大合唱が再開です。。。
更に驚いたのは、
各所で寝っ屁が大発生するのです。(笑)
一人ではありません。ワタシの他の4人の患者のうち3人くらい(音が聞こえる方向での判断ですが)が10分に1度くらい屁をこいているのです。
足も痛いし、うるさいし、寝っ屁に何故かウケて面白くなって、ワタシは全然寝る事ができませんでした。
1時間ほどした時に、もう一人の患者さんが病室に来ました。
ワタシが搬送された30分ほど後に搬送された30代前半の男性です。
この男性も、ワタシと同じく左足首を痛めていました。小さく会釈をしたところ男性は小声で
「私も骨折でした・・・」
との事でした。同じ日に同じ個所を骨折しているので何故か二人の間には親近感がこの時既に沸いていました。
足首骨折のオペが中々できない
ほぼ眠れない夜が明け、朝6時には看護師さんがチャキチャキと各ベッドを周り患者を起こします。様子を聴いたり点滴を交換したり軽い処置をしたりしています。
そうです。病院の朝って凄く早いんですよね。まるで修行僧の様です笑
その後、朝食の時間です。
ワタシは朝にオペを予定していたので朝食抜きです。
最後にご飯を食べたのは前日の昼。しかも軽く食べただけです。
ただ、オペに向けての準備なので仕方がないと考えていたのですが、同日入院した同じ足首骨折の男性(印刷業との事なので、印刷さんと呼びます)には朝ごはんが来ています。後で分かったのですが、印刷さんはこの時点でオペの予定が決まっていませんでした。
病院のご飯で美味しくないと聞いたことがあるのですが、空腹の私にはこの時の美味しそうな匂いが今でも忘れられません。
朝食の代わりにワタシは手術の準備が進められました。点滴を打ちケガをしていない方の足に血栓防止?の弾性ソックスを履かされました。
このハイソックスはオペにより血栓が発生して、その血栓が体内に流れ込んで別の病気を発症する事を防ぐソックスとの事。更には飛行機等でのエコノミー症候群の予防にも効果的だそうです。
JGC(JALの上級会員)修行中のワタシにとっては、ここでもステキなアイテムをゲットできた等と少し喜んでしまいました。
朝食が済むと、リラックスタイムです。同じ病室の患者さん達は思い思いの行動を開始しています。朝から病室内で大声で電話をするおじいさん。おとなしく読書をする紳士風の60代のオジサン、窓をボーっと眺める70代位のおじいさん。
必死に事情を説明して欠席の連絡をしている、印刷さん。等々。
ワタシは午前のオペに向けて、足首骨折の術式を調べたりしていました。
しかし、時間が正午を過ぎ昼ごはんの時間になっても、オペの連絡が来ません。
今日の昼ごはんは看護師さん一押しのサバの味噌煮だそうです・・・
当然ワタシは食べる事ができません。
13時過ぎに担当医が病室にやってきました。
「やっぱり、雪の影響でまだ道具が届かないのでオペは夕方になります」
との事でした。時間が遅れるのは仕方ありませんので快諾した上でワタシは
「一つ気になっているんですが、ワタシの手術にはそんな特殊な道具を使うのですか?」
と聞いてみたところ、実はそんな事はありませんでした。
「親父さんに居れる予定のチタン製のボルトとプレートがまだ来ないんです」
との事でした。整形外科等であればいくつか在庫があるのでは?と思っていたのですが、仕組み的にそういう事は出来ないらしいです。ですので引き続き、ワタシの体内に入るネジと板の到着を待ちながら夕方になりました。。。
オペ直前の不安な呪文と麻酔
そして日が暮れる少し前、空の青さが薄ーくパステルがかった頃に看護師さんと担当医がやって来ました。
「到着したので、オペしますね。」
「ただ遅くなってしまったので麻酔医が帰ってしまい、全身麻酔はやめます。」
「でも大丈夫、私が麻酔の注射打ちますので」
••• 担当医も最短でオペ出来るように調整してくれた訳だしプロなので心配しても仕方が無いのですが、ワタシは全身麻酔と半身麻酔の違いと言うかメリット、デメリットがわかりませんでした。また、平日の怪我でしたので可能な限り早く退院したいと考えてました。ですので、
「はい!宜しくお願いします!」
と、即答しました。
その後、諸々準備をしている最中に妻がボソっとワタシを不安にする呪文を唱えたのです。
「オペ中に麻酔の効きが弱かったり、全然効かなかったらどうなるのかな?麻酔医居ないから全身麻酔できないんだよね?」
「私、手術した時2回とも麻酔効かなかって激痛走ったよ。マジで天に召されるクラスの痛みだった!!2回目の時は麻酔医が居たから速攻で全身麻酔に変えられてすぐ寝たけどね。。。」
え?えぇーー??
オペ始まる直前に超絶不安になる呪文です。でもさっき快諾してるし、オペ室に入ってから、そんな確認して、やっぱりやめてください!なんて言えないし、でも麻酔効かないままボルト打ち込まれたら、痛みに耐えられるはずないし、どうなるんだ??
••• と、嫁の呪文はワタシのHPを大きく減少させる会心の一撃となり、ワタシは不安の坩堝に。すると看護師さんが来て、ワタシをストレッチャーに載せ変え手術室に移動開始です。。。
移動が始まってしまうとどうしようも出来ません。ワタシは思考停止してしまい、ただただ天井を眺めることしかできませんでした。。。
オペ開始!看護師さんに勝手にフォーリンラヴ
手術室に入り、ストレッチャーから手術台に移動しました。人生で初の手術だったので知らなかったのですが、手術台って物凄く狭いんですね。。。寝返りすると落ちそうな感じです。
手術室には、担当医(40代前半、ちょっと不機嫌な綾野剛)と補佐の医師(20代位の優しそうな男性) 、看護師2名(昔は合コン好きだった風の30代前半女性と、料理とパチンコが好きそうなアラフォー女性)の4名がワタシの手術を行ってくれます。
担当医が諸々準備をしている間に、アラフォーのナース(B子さんとします)と補佐の医師(ヤサオさんとします)がワタシに寄り添って、麻酔の話やら手術の話やらを凄く優しくしながら話してくれました。
きっと、妻の呪文が解けずにとんでもなく不安な顔をしていたんでしょうね・・・
そして、いよいよ麻酔の準備です。手術着を剥がされ全裸になって股間だけタオルで隠してワタシは横向きに寝て体育座りの様な格好で背骨を突き出して、担当医が注射を打つ場所を確認していきます。
その間B子さんは、ギュッと握りしめたワタシの拳の上に手を乗せ、もう一方の手では腰回りを、ポンポンと、赤ん坊を寝付かせる様なリズムで叩いてくれています。
何でしょうね、初めてあった人にいきなり全裸の状態でプルプル震えている、とっても恥ずかしい状態なのに、全然恥ずかしくないのです(当たり前ですが)。
むしろ、そのB子さんの温もりが物凄い安心感を与えてくれるんです。
担当医が麻酔をそろそろ打とうとした時B子さんが、ワタシに
「そろそろ麻酔を打つんですが、太い注射針が痛くない様に最初に軽い麻酔を打ちますね!」
・・・と説明をしてくれたのですが、担当医は間髪入れず
「そんなの打たないよ!親父さん、ちょっと我慢してね!」
との返答。。。ワタシの緊張はマックスです。爪の跡が残るくらい拳を握ってしまいました。するとB子さんが、そのワタシの拳の隙間に指を入れ上から更に、ギュッと拳を包み込んでくれました。何だか物凄く安心してしまいました。
そして、ワタシは何と拳を開きB子さんの手を握ってしまいました。
完全に恋に落ちた瞬間の様に・・・
そして、背骨に注射針が刺さります!B子さんもギュッとワタシの手を握ってくれました。そのお陰か、担当医のテクニックが凄いのかわかりませんが、ほとんど痛みがありません!点滴の針を刺されるのと同じ位のチクっとした刺激程度でした。
そして、1分位してから麻酔が効いているのかのチェックです。
つま先からひざ下までは既に感覚がありません。更に1分位すると太ももの半分位まで感覚がなくなりましたが、その後はあまり変化がありません。
担当医が、うーん、どうしようか?と考えていました。ワタシは妻の呪文が再度復活して若干怖くなっています。だって、ひざ下まで麻酔が効いているのであれば、ワタシの患部である足首の手術は出来るはずなのに、もしや痛みは太ももまで来るのだろうか?と。でもこれ以上迷惑かけられないし、いっそのこと少し感覚はあるものの、嘘ついちゃった方が良いのかな?なんて考えたりもしました。
しかし、担当医は
「親父さん、左足だけ少し麻酔を追加しますね!」
と決断。素人のワタシが考える以上に麻酔のコントロールは繊細なんでしょうね。
当然感覚がなくなっているので、いつ追加されたかも分からず麻酔を追加されてからオペ開始です。腰元からカーテンの様なものを掛けられているので、手術の様子はわかりませんが、一番最初に電気メスでワタシの皮膚を焼き切った時の独特の匂いを感じました。
その後、痛みは全くないのですが、何やらグイグイと足を引っ張られているのはわかりました。事前の術式の検索をしていたので、ここからは想像ですが、様々な金属音がしたので、大きなペンチの様な器具で足の向きを固定したり、皮膚を開いたりして骨が見える状態にして、その後骨折した骨の方向を正しい方向に直したりしてくれたのだと思おいます。
あらかた、下処理が終わった後でいよいよ、ボルトを骨に入れていきます。
今回はリアルタイムでレントゲンを撮りながらの手術でしたので、ワタシもレントゲンのモニターを見ながらボルトが埋め込まれる様子を確認することができました。
ネジ穴を作るためのドリルの振動は、麻酔の効いている足から腰まで伝わり、少し不思議な感じでした。
手術は1時間程度で終わりました。麻酔が効いている状態ですので担当医が尿道に管を入れました。
「親父さん、今握っているのわかりますか?」
と担当医が聞くのですが当然わかりませんが、この歳になって男性に自分の性器を握られるなんて思ってもいませんでしたし、他のスタッフも見ている中での処置でしたので少し恥ずかしかったです。手術は1時間程度で終了しました。
看護師さん2名には、「よく頑張りましたね!」と声を掛けられ(頑張ったのはみなさんの方なんですが)、最後にヤサオさんから
「この写真、記念にいりますか?」
と、オペ中のレントゲン写真をプリントしたものをプレゼントして貰いました。
こちらがオペ中に撮影した、レントゲン写真。
チタン製のボルト6本、プレート1枚が埋め込まれる豪華仕様の手術となりました。
色々ご迷惑を掛けたのですが、担当医はじめ献身的にワタシの面倒を見てくれた病院のスタッフの皆さんには心から感謝です。
入院から3日目、最短で退院
オペが終わり病室に戻ると、印刷さんが、
「オペ早かったですね?」
「痛かったですか?」
と話しかけてきてくれてワタシは、半身麻酔でも全然大丈夫だった事や、担当医はぶっきらぼうだけど良い先生だと思うなどと話をしました。
まだ下半身の感覚がないので自力で動くこともできず、お腹にも力が入らなかったので寝たきりのままで夜になりました。
消灯時刻を過ぎると、流石に眠たくなっているのですが今度は麻酔が切れてきて、激しい痛みがありました。この事は担当医からも聞かされていたので覚悟はしていたのですが。。。担当医曰く
「親父さん、骨に異物が入るのと骨折はまだ治ゆしていないので数日は痛みますよ」
「今日からは痛み止め飲めるので頑張ってください」
この様な内容でした。ですので、麻酔が切れる頃には痛みが復活するのは知っていたのですが、消灯後になるとは思っていなかったので少し焦りました。。。
病室内は、いびきとオナラの大合唱なので多少物音たてても迷惑はかからないのですが、うめき声をあげる訳にも行かず、シーシーっ!っと息を吸ったり吐いたりしていた所、見回りの看護師さんが来てくれました!
「親父さん、痛いんですか?」
「痛み止め飲みましたか?」
と聞いて来たので、
「いえ、まだ飲んでません」
と伝えた所、ワタシのキャビネットの上に、白湯が入っていたと思われるコップと痛み止めと思われる薬を指差して、
「ここに痛み止めありますよ!」
と教えてくれました。恐らく寝落ちする寸前に説明を受けていたんでしょうけど、よく聞いていなかったんでしょうね。。。すぐに痛み止めを飲んで安静にしていると30分ぐらいで痛みのピークは過ぎましたが、やはりズキズキと痛みが続き、結局この日も寝たのか寝てないのかわからないまま朝を迎えました。
朝になると、担当医が病室まで来てくれて傷跡のチェックをしてくれました。
「痛みは大丈夫ですか?」
「まだ出血があるので、今日退院ですが明日も病院来れますか?」
話し方はぶっきらぼうですが、担当医さん、思い起こせばワタシが救急搬送された月曜日から退院する水曜日まで、恐らく家に帰っていないはずなんです。(もしくは昨夜帰って、早朝来たのかもしれませんが・・・)
そして直ぐにワタシの傷の確認をしてくれるなんて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。医療従事者の方々って改めて凄いなと尊敬してしまいました。
その後、尿道の管を抜きに看護師さん(50代後半の優しい感じの女性)が来てくれました。ゴム手袋をしてワタシに入っている管を抜くのですが、オシッコを漏らしてしまう様ななんとも言えない変な感覚(痛くはなかったです)を味わいました。そして驚いたのは体内に入っていた管の長さ。30センチくらいあったと思います。
こんなに長いものを麻酔抜きで入れられたら、相当痛いだろうなぁと感じました。
その後身支度をして晴れて退院です!関係者にお礼をして自宅に帰って来ました。
直ぐに部屋着に着替え、左足の裾にハサミを入れ自宅療養体制に入りました。
術後、骨折をした方のふくらはぎが細くなるという話を聞いたので、記録のために写真を撮りました。
骨折した左足は固定具が装着されつま先が寒かったので、100円ショップで売られていたニット帽をカバーにつま先を温めています笑
ふくらはぎの様子ですが、骨折した左足のふくらはぎの方がむしろ腫れていました。
これは骨折の炎症と手術翌日であるので、むしろ腫れていて正解なんだと思います。
痛み止めのカロナール。
炎症を軽減する、漢方「治打撲一方」も処方されました。
退院翌日の通院で足首のボルトを確認
退院した日は溜まっていたメールの処理だけ済ませ、あとはとにかく足を高く上げて足首周辺をアイシングしてのんびり過ごしましたが、やはり痛みは引くことがありませんでした。。。
慣れた自宅の布団でも夜は悶絶しながら過ごし、朝を迎えました。
眠い目をこすり、自宅近くでタクシーを拾い病院に向かいます。
今回の様な怪我が理由で歩行困難な場合は通院のタクシー代なども高額医療費控除の対象となると聞いたので、極力電車は使わず当面はタクシーで通院しようと考えていました。
ワタシが入院した病院は整形外科では有名な病院だったらしく、診療開始時刻5分前に到着したのですが23人待ちでした。。。
その後、2時間ほど経ってやっと診察してもらえました。
「親父さん、昨日は眠れましたか?」
と担当医に聞かれたので
「痛すぎで全然眠れません、痛み止めが効かないのかわからないのですが、睡眠薬とか貰えませんか?痛いの我慢していると全然時間が進まないんです。。。」
と伝えたところ、
「親父さん、痛いので眠れないなら睡眠薬じゃないですよ、別の痛み止め出しますね」
と言うことで、別の痛み止め(セレコックス100)を処方してもらいました。
そして、手術直後のレントゲン写真を見せてもらって状態の説明を受けました。
左足首外側のくるぶし周辺にガッツリとボルトとプレートが入っているのが確認できます。くるぶし周辺は皮膚も薄いので衝撃には注意しないとなと感じました。
その後、午後から出社すると話したところ、
「親父さん、今日から出社なんですか?」
「自費になりますが、固定具の上につけるカバー買いますか?」
と提案してもらったので購入させてもらいました!
足が蒸れるからメッシュ系にしたのですが、防寒の観点から考えると失敗でした。。。でも、100円ショップのニット帽を中に入れることで寒さはしのげる様になりました!
意外と大変な車椅子
一旦帰宅をして身支度をしてから会社に向かいます。
車椅子で道を走ってみるとわかるのですが、平らな様に見える道でも実は平らではなく、車椅子でまっすぐ走るのは凄く大変です。
普段何気ない光景で車椅子の方が道を走っている姿を見かけますが、普通にまっすぐ進むのって本当に難しいです。これまで以上に配慮しないとなぁと痛感しました。
反面、車椅子に乗っていると周囲の知らない人たちも凄く優しくしてくれる場面も多々あり、日本人の素敵な一面も再確認することができました。
一般道で平らな道は殆どありません。。。
いざ、職場につくとやはりビルの中は平らな通路なので快適です。
ただ、エレベーターに乗るときなど場所を取るので少し申し訳ない気持ちがあるのですが、ここでも色々なことを感じることができました。
ワタシが車椅子でいてもそうでなくても身勝手な人はいますが、相当自分勝手な人にがっかりしたり、逆に物凄い助けてくれる見ず知らずの人に感動したり、視線も普段より低いので、通い慣れた職場でも新たな発見がありました。
左足首骨折3日後のふくらはぎと傷跡、むくみが凄い・・・
午後に出社をし、最低限の仕事を進めて定時には帰宅しました。
担当医よりシャワーOKの許可を貰ったので、食事後に包帯をとりシャワーの準備をした際に記録写真をしました
ふくらはぎに変化はなかったのですが、骨折した左足首周辺は腫れています。
更に驚いたのは、足の甲からつま先まで、物凄い浮腫んでいました。
固定具で固定されて、歩行もできないので関節が稼働せずポンプの役目を果たさないため、炎症を起こした周辺の血液が滞留することで浮腫みが発生するみたいです。
ですので、足首を骨折した時は心臓より高いところに足を挙上してムクミ予防をする必要があるみたいです。あとは、炎症を起こしている骨折している箇所周辺のアイシングも痛みを軽減する意味合いでもワタシには効果的でした。
縫合の跡。ポキっと骨折した箇所を中心に最小限の切開で手術してくれた事がわかります。担当医に本当に感謝です!
左右の足を比較すると左足が相当浮腫んでいる事がわかります。
浮腫みは指先まで来ています。。。
固定の影響でしょうか?怪我した箇所とは反対側の側部とかかと周辺も内出血なのか?アザができていました。。。
久々に浴びたシャワーは最高でした!日本人ってお風呂好きですよね!
この日は新たに処方してくれた痛み止めの相性も良く、久々にぐっすりと寝る事ができました。
最後に
ここまでの長文にお付き合い頂きありがとうございます。
今回はワタシのドジなアクシデントにより骨折をしてしまったのですが、この先もまだまだ降雪の可能性もありますし、慣れない雪道での歩行はくれぐれも注意してください。また、可能であれば大雪などの警報が発令された際は余裕を持って、早めの帰宅を心がける、難しい場合は無理して帰らず近隣の知人宅やホテルなどの宿泊などをけんんとうされても良いかと考えています。
怪我をして痛い思いをしたのはワタシですが、この怪我の為に大勢の人に協力してもらう事になってしまいました。自分自身への反省を込めてですが、本当に援助や介護、治療が必要な人は常にいて、ワタシのような不注意によるアクシデントによってリソースが割かれる事で、そのような人達への影響も及ぼしている事もあると反省しています。
また、車椅子や松葉杖での移動は想像以上に大変で当事者も出来る限り配慮しても健常者と同じリズムで行動する事が難しい局面もあるんだなと感じる事もできました。完治するまでは迷惑を掛けてしまうのですが、その後はこれまで以上に配慮する気持ちを持とうと強く考えるようになりました。
この日記はワタシの骨折が落ち着くまで不定期で更新しようと考えています。
ワタシと同じような足首の骨折をされた方の何かの参考になるように、患者目線で書いていこうと思いますので、たまに遊び来て頂けると幸いです!
改めて、今回の怪我でお世話になった全ての方に感謝の気持ちを込めて、第1回の骨折日記を終わらせたいと思います。
■続編を更新しました!
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